正社員、派遣社員しながら大学院、ニューヨークでインターン、そしてまた日本へ…。「自分流ワーキング」を探して経験を重ねる皆川夏子(仮名・31才)の日記です。めまぐるしく変わる環境と個性的な人たちの中で、彼女はいったい何を見つける!?
   
●2006.3月● 人事異動、初体験
 
3月4日(土)
遅ればせながらipodを購入。どうせ買うなら容量の一番大きいやつを買おうかなと漠然と思っていたけど、すでに持っている複数の友人から色々と聞いてみたら気が変わった。充電池が1年前後で消耗してしまうのらしいとのこと。保証サービスに入って新品と交換してもらったりしたら結局中身はもう一度全部新しくいれる必要があるなど、聞いているとあまり大きなものを買ってもしょうがないかな、と思って結局nanoの2Gを買った。そもそも私はあまりCDを持っていないし、しかも最近は特定のアーティストしか聴いていないので2Gも使わないかもしれないな。200曲タイトルいれて750Megaくらいになった。ずっと気になっていたpodcastってやつもやっと聞くことができた。海外のラジオの速報を聞けたりするのはとっても便利。

買いに行った電気屋さんではipodより、SONYのやつとかを推薦していた。音質がいいらしい。充電の所要時間とか利便性とか操作方法とか考えたら日本製のが使い勝手はいいのかもしれないけど、私はそれでもipodがいい。なんていうのかな、操作すること自体がエンタ−テイメントって感じがするのはipodだけだと思うのだ。確かに通勤とかで聴くときにリモコンじゃなくて本体を操作しないといけないのは面倒くさいところもあるけど、画面を見ながらCDのジャケットの写真をみながら曲を選んだり、操作したりするのがなんとも楽しい。アルファベットのフォントもかわいい。こういう、利便性はイマイチだけど味がある製品っていいなと思う。そこがヒットしている一因じゃないかしら。

 
 
3月13日(月)
突然、部署が異動になり、IRからPRに仕事が変わりました。最近、会社の組織や人員の入れ替えが盛んで同期も異動になったと聞いていたので、みんな大変だなぁ、なんて他人事に思っているばかりでまさか自分がそうなるとは思っていなかったので、青天の霹靂でした。実は、この年にして異動は始めての経験です。というのも正社員より派遣社員の経験のが多かったので派遣で異動というのはないためです。

先週末に突然上司から聞かされて、早速引越し。今日から新しい場所に出勤です。とは言っても、前からからみの多い部署だったので顔見知りも多いし、不安はあまりありません。肝心の仕事の内容は、といえば新しく立ち上げ中のプロジェクトへの参画ということになります。とある場所に新しく施設をオープンさせようとしており、社運がかかっているので会社が相当なエネルギーをここに傾けているのはわかっていたのでいわば、いままでよりももう少し、消費者に近づいたところで仕事ができるのかなと思っています。

実は、この会社に入るきっかけになった就職情報誌に今度の新しい部の女性部長がインタビューを受けていてそれを読んでだいぶ好印象受けていたので、その部長のもとにこれたことは私にとっては嬉しいことなのでした。それはともかく、いままでのIRの思考回路から今度はPRの思考回路に切り替えなければなりません。入社10ヶ月目で新たなことに挑戦することになってしまいました。

 
 
3月14日(火)
異動して早々、すごい方にお会いしました。 世界的に有名なブランドの御曹司です。ちなみに年齢は私と同じくらい。今度のわが社のプロジェクトにからんでこの会社と契約を結ぶことになり、代表者である御曹司が来日したわけです。わが社で執り行われた契約調印の一部始終を私はビデオにおさめる役まわりだったため、かえって間近で彼を拝見することができました。とても背が高く、おだやかな雰囲気のナイスガイって感じです。

契約に関しては今後もいろいろとツメが必要なところがあるのでそのつどイタリアと連絡をとりあいながら行いましょうということで合意したのですが、彼自身よりもお父様の意向がかなり比重を占めているらしく、「Dad(父)に聞いてみないと、、」みたいなセリフが何度か聞こえておかしかった。アメリカでMBAをとって会計事務所で働いていたエリート御曹司でもこのビジネスの世界では駆け出しっていう今の状況はどこの世界でも同じなんだなと思って、なんとなく安心してしまいました。外国人のビジネスマンなんて若い頃からビシっと仕事できます、ってイメージが強かっただけに、いい意味で親近感がもてました。

 
 
3月17日(金)

 89歳の祖母が息を引き取りました。胃癌と老衰が主な原因です。初孫だった私はとても可愛がってもらったので正直こたえます。長いこと入退院を繰り返していて、離れて住んでいた関係で、最近顔を見るのは病室、ということが多かったので心の準備はすこしづつできてはいました。そのせいか、亡くなった知らせを聞いたときも予想していたよりも冷静でいられました。ここのところ弱っていて生きていること自体がとても辛そうに見え、複雑な心境だったことも祖母の死を納得させる一因だったかもしれません。

気丈な祖母で戦争中、母を妊娠しているときも防空壕にはいらず、「死ぬときはどうせ死ぬんだから」と言って、家事をしていたといいます。今はすっかり映画監督として有名になったビートたけしの一家が近所だったこともあって、私が幼少のころ、近所を祖母と歩いているとタケシのお母さんとすれ違いごしに世間話をしていることもありました。祖母はなかなか自分の若いころの話をしてくれなかったので、タケシ原作のドラマを見て、当時の雰囲気を知ることで空想していたりしていました。

祖母は父を早くに亡くしたので10代のうちから実家から東京に出てきて、日本橋あたりの裕福な商売をしている家に女中奉公のようなものにいっていたようです。当時の結婚前の女性は就職先もなく、今でいう、アルバイトなどもないので、下宿のような形で東京の家に住み込みで働くことが田舎の女性にはよくあったことだと聞きました。 そんな話を祖母から直接聞きたかった。もっと沢山話をしていればよかったと、いまさらながら思います。

小さいころは、いつも何か買ってくれたり、小遣いをくれる祖母だったので、けして豊かでない中でつねに倹約をして過ごしていたなんてことは孫の私は全然知りませんでした。晩年になるとさすがに昔の話をよくしてくれるようになり、病気がちだった夫を支えて生活するのがいかに大変だったか、いつも節約をして暮らしていたことなどを聞きました。祖母の生き方はとても私には真似のできないものだとつくづく思います。もっと長生きしてほしかったのに。 最近よく聴くJAZZのナンバーの中でa bientotという曲があります。なぜか祖母が亡くなったと知ったときからこの曲が繰り返し頭をよぎるので、この曲ばかりを聴いていました。なんとなく気になってタイトルの意味を調べたら「さようなら」という意味でした。

 
 
3月25日(土)

仕事の関係で今後ワインの勉強をちょっとしなければいけないので、友達に頼んで知り合いのワインに詳しい方を紹介してもらい、一緒にお食事をしました。ワインが本当に好きで慣れ親しんでいる人はワイングラスの足のところなど持たず、グラスの部分を普通のコップのようにもって飲む、と前に何かで読んだけど、今日お会いした方もそのとおりでラフな感じで飲まれていました。私はつい、初心者っぽく足の部分をわざわざもって飲もうとしてしまうんだけど。それから今日知ったもうひとつ大切なこと。白ワインは冷やして、赤ワインは常温で。というのをよく聞くけど、あれはあくまでもフランスあたりの気候の温度でのことで、日本で暖房がきいた湿気の多いところで赤ワインを常温で、というのはナンセンスらしい。日本では赤ワインもそこそこ冷やしたくらいのがいいとのこと。そういわれてみれば、ちゃんとしたレストランだと赤ワインも冷たくでてくるね。そのほうがおいしい感じがするしね。なるほど。それにしてもワインを飲むとすっかり酔っ払うようになってしまった。情けない。。。。

 

(4月へ続く)