89歳の祖母が息を引き取りました。胃癌と老衰が主な原因です。初孫だった私はとても可愛がってもらったので正直こたえます。長いこと入退院を繰り返していて、離れて住んでいた関係で、最近顔を見るのは病室、ということが多かったので心の準備はすこしづつできてはいました。そのせいか、亡くなった知らせを聞いたときも予想していたよりも冷静でいられました。ここのところ弱っていて生きていること自体がとても辛そうに見え、複雑な心境だったことも祖母の死を納得させる一因だったかもしれません。
気丈な祖母で戦争中、母を妊娠しているときも防空壕にはいらず、「死ぬときはどうせ死ぬんだから」と言って、家事をしていたといいます。今はすっかり映画監督として有名になったビートたけしの一家が近所だったこともあって、私が幼少のころ、近所を祖母と歩いているとタケシのお母さんとすれ違いごしに世間話をしていることもありました。祖母はなかなか自分の若いころの話をしてくれなかったので、タケシ原作のドラマを見て、当時の雰囲気を知ることで空想していたりしていました。
祖母は父を早くに亡くしたので10代のうちから実家から東京に出てきて、日本橋あたりの裕福な商売をしている家に女中奉公のようなものにいっていたようです。当時の結婚前の女性は就職先もなく、今でいう、アルバイトなどもないので、下宿のような形で東京の家に住み込みで働くことが田舎の女性にはよくあったことだと聞きました。
そんな話を祖母から直接聞きたかった。もっと沢山話をしていればよかったと、いまさらながら思います。
小さいころは、いつも何か買ってくれたり、小遣いをくれる祖母だったので、けして豊かでない中でつねに倹約をして過ごしていたなんてことは孫の私は全然知りませんでした。晩年になるとさすがに昔の話をよくしてくれるようになり、病気がちだった夫を支えて生活するのがいかに大変だったか、いつも節約をして暮らしていたことなどを聞きました。祖母の生き方はとても私には真似のできないものだとつくづく思います。もっと長生きしてほしかったのに。
最近よく聴くJAZZのナンバーの中でa bientotという曲があります。なぜか祖母が亡くなったと知ったときからこの曲が繰り返し頭をよぎるので、この曲ばかりを聴いていました。なんとなく気になってタイトルの意味を調べたら「さようなら」という意味でした。