今日ネットのニュースで「奄美のうさぎ・・・」という文字が目に入ってきた。
すぐに「アマミノクロウサギ」のことだと思った。
小学校の頃の国語かなんかの時間に担任の先生が突然ラジカセを教壇におき、ある語りを私たちに聞かせた。それは椋鳩十氏の講演内容の語りだった。当時3年生くらいだったのでまったく前後関係がつかめず、語っているのが誰かもわからず、カツゼツのあまりよくないその声がとなりのクラスの先生に似ていたので先生が話をしているのかと思ったくらいだった。でも、そのテープの中で椋さんが「アマミノクロウサギ」のことを熱心に語っていたことだけはずっと頭から離れていなかった。何かとても大切で重要なことなんだろうな、という漠然とした印象が残っていた。
20年以上の間、今日こうしてネットで発見するまで、まったく一度も思い出さなかったくらいのことをコンマ数秒で思い出した。そしてアマミノクロウサギがどれだけ希少な動物かということもなんとなく頭にあったため、11体の死骸発見というこのニュースはとても心が痛んだ。奄美大島どころか、九州にも行ったことないし、もちろん、アマミノクロウサギも全くみたことのない私が、小学校のときに一度だけ聞いた、この椋先生の語りを思い出しただけでとても悲しい気持ちになったのだ。自分でも驚いてしまった。そして子供の頃の教育の大切さを実感した。
なんというか、心の奥深いところにそっとしまってあり、忘れていても消えていない大切な感覚。そういう感覚さえあれば、人間は実際に体感していたり、行ったことがなくても共感したり、共有したりできるのものなんだと思った。遠い外国でもそうだと思う。行ったことがない国のことでも共感したりすることは可能なんだろうと思う。人間として大切なことを子供のうちに「教育」という手段で沢山植えつけることがどれだけのちのち大きな違いを生むかを自分の記憶を通して実感した。 |