●2003.2月(2)● ジョン・ムウェテ・ムルアカ



ジョン・ムウェテ・ムルアカ(格闘家 1961〜)

6月21日、ザイール(現コンゴ)の首都キンシャサで10人兄弟の長男として誕生。5歳から空手を始め、14歳の時に祖国でプロ格闘家としてデビューした経験がある。国立イナザ・イスタ大学電気通信学部を卒業し、81年にザイール国営放送局に入社。その後、研究員としてザイール通信社に移り報道に携わる。義兄が日本大使に任命されたのを機に、85年1月に初来日し、東京電機大学大学院に留学。日本アフリカ開発協会理事、タレントなどを経て、91年に鈴木宗男被告と出会い、同氏の私設秘書となった。リンガラ語、フランス語、日本語など7か国語を操る。家族4人と神奈川県内在住。

●中尊寺の分析●
最近バラエティに引っ張りだこになりつつある、格闘家に転身宣言したムルアカですが、実は私4〜5年前から知り合いで、あの富士山の見える足柄郡の自宅まで夫と招待されて、アフリカ料理をごちそうになっているし、私の出版パーティーで挨拶もしてもらっている。その頃は誰もムルアカが誰か気に留めていなくて、ただでっかいアフリカの面白い人というようにみんなには思われたようだった。

そんな友人をネタにするのも申し訳ないが、今また話題の旬の人になっているからね。私たちはジョンさんと呼んでいるが、ホント、宗男サンの秘書だった当時から、私はそういうワケのワカンナイ議員にくっついているところは感心できなかったし、息子が生まれたら“宗男”と命名したのにはヤバイなって思ったし、まあその時点では鈴木宗男がどんな政治家か詳しくは知らなかったので、何とも言えなかった。だからその点についてはないことにして、アフリカの話をしたりして普通につきあっていた。しかしすごく暖かくていい人で物凄いインテリでもあるんだけど、前からちょっとだけ有名志向&権威志向はあったよね。まあそれだけ日本でアフリカ人がやっていくのは大変なんですよ。

去年の今ごろ宗男スキャンダルが絶頂期の頃、週刊文春の記者が、私がムルアカを知っているというのを聞いて、文春に「ムルアカ独白手記」を載せたいから頼んで欲しいと言われた。私もざんざん前からムルアカに「ワタシの伝記をマンガにしてくだサイ」と言われていたので、今漫画にしたら売れそうだなとは思ったけど、それもいやだから、せめて文春でちゃんと釈明すればいいよと説得した。でも、ムルアカは「奥さん(職業は看護婦さん)にしゃべってそれを口述筆記して本を出すから、文春には出ない」と言った。まあ結局本も出なかったけど。渦中にいる時、奥さんにも私が電話で忠告したんだけど「今表にでないほうがいいよ、キムタクより目立つからね!」と。でもニコニコ笑ってあまり事態がわかっていなかった様子。新聞も雑誌も見ないようですね。でもそれだからこそ妻をやれるというか。普通の人だからね。

そういう話はいいんですけど、私は彼に本来の医学の研究を続けて欲しいんですよ。それがうまくいけばノーベル賞ものかも知れない、と新聞にも書いてあったし。格闘家なんて向いていないって。娘の出産祝いには、コロコロクリリンの人形とマイメロディのパジャマ贈ってくれたよね。しかも銀座松屋から! ううん。それってエリートっぽいかな?