1999.8月(1) J.F.K.ジュニア




J.F.K.ジュニア
(政治雑誌編集者、1960〜1999)
ジョン.F.ケネディ大統領の長男として生まれる。83年にブラウン大学卒業後、ニューヨーク州の検事局などに勤務後、95年に政治雑誌「ジョージ」を創刊、編集長を務める。88年には「ピープル」誌が選ぶ「世界で最もセクシーな男」のひとりになったこともある。96年、アパレルメーカーの広報担当だったキャロリン・ベセットと結婚。99年7月17日、自ら操縦する小型飛行機で、マサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード島へ向かう途中で消息を断ち、20日、遺体で発見された。

●中尊寺の分析●

ジョンジョンが大変なことになってしまった。王室なきアメリカの「プリンス・チャーミング・J.F.K.ジュニア」!くく〜っ。私のジョンジョン!N.Y.に住んでいた時、一目会いたかった。私はかねてから一族のことをよく漫画に書いていた。(このコーナーにも最初から登場の予定で、ハイテクツール当ての中に入っていたように)。

私はケネディの暗殺を謎解く本より、ファミリー関係の本を読むの大好き。だってアイランド移民だった J.F.K.の曽祖母のブリジットからケネディファミリーをたどれば、アメリカの歴史や政治、文化的背景が全て見えてくるではありませんか。それとは別に、アメリカのギャルっぽいミーハー根性も持ち合わせています。ジャクリーンのアパートも、タクシーの運ちゃんに教えてもらったり。結婚後の本人のトライベッカのアパートは知らなかったけど。国連に勤めていた女の友人が、前に彼にちょっとだけ会ったが、あまりにもイイ男なのでに腰が抜けたと言っていた。いいなあ。

さて、何故ケネデイ一家には暗殺や事故死など悲劇ばかり起こるのか。それはほとんど一代で莫大な財を築き、国民に「アメリカ一の名家」といわせたジョンジョンの祖父のジョゼフ・P・ケネディの悪どいやり方に問題あって、それが何代にも渡ってたたっているのだと思う。「息子を大統領に!」 J.F.K.のことより、この強欲じいさんのことを私に語らせたらこのコーナーでは終わらないので割愛します。私はケネディ後援会の会長も認める「小さなケネディ専門家」なのだ。だからすごく謎に思うのだが、今回のジョンジョン事故死については、日本での報道はダイアナ妃の100分の1くらい。何で?私は日本のマスコミがあまりに遅いし、関心がないのでずっとインターネットのCNN.COMやNEWYORK POSTなどで日に3回は情報収集してたよ。動画でね。ヴォリュームいっぱいにして。 great tragedy!(大悲劇!)って。なんか日本の報道陣は関心ないっていうか年配の文化人のみんなも、その息子である若きプリンスのことはなじみがないみたい。「J.F.K.暗殺の時、衛星放送を初めて見てテレビはすごいなって思った。白黒だったけど。」とかそんなコメントばっかよ。アメリカじゃあ大変なことで、国民が老若男女みんな泣いています。国としても大きなものを失ったでしょう。ヨーロッパの一部のマスコミは笑うけど。本当の王子じゃないのに騒ぎすぎだって。しかし、ケネデイ家の最後の男エドワードは生きてるけど、人気ないし。だからジョンジョンが亡くなって、カリスマだった35代大統領ケネディの直系はこれで途絶えてしまった。神話は今度は本当に永遠の悲劇で終わってしまった。アーメン。
(もっと詳しいことは私のHPへ。)