先日、あるオヤジさんたちと話していてたまたま、江角マキコの話題になった。するといちばんえらいオヤジさんが「誰だあ?そりゃあ」と言うので部下の一人があわてて説明をした。「ショムニですよ!ショムニ!」…オヤジさんはわかったような、わかんないような顔していましたが、そうかあ、マスのボトムにおいて江角は“ショムニの女”ってことになっているんだね。するとその部下は「でも最初にOLを主人公にしたのは中尊寺さんですからねえ、江角やテLビ局に感謝してもらいたいところですよねえ」と言う。
それはないな。だって私の考えるOL像とはかなり違うから。ショムニは“男社会に反発する女の古い体質”がこの現代においてベタだから、おもしろいんでしょう?だからOLといってもオヤジギャルの延長線上にショムニはないし、どっちかっていうと逆だ。オヤジギャルはオヤジと融合して、しまいにゃ超えちゃうんですから。
しかし江角のおいしい所は永遠に洗練されないところ(マライヤ・キャリーのそれとはちょっとちがうが)。ダイヤモンド賞をもらっても、何してもやっぱり“島根の頑張り娘ストーリー”の枠からはみ出ない。なんか東京が面白くてしょうがない、この東京はわたしのもの、みたいな感じがかわいい。“自然体”っていうのは、何にもしない“天然の自分”ことじゃなくて、洗練されきった人たちが、最後にたどり着く境地だという解釈もある…ということを彼女が知るのはいつの日か。でもモデルとして出てきたころはすっごくカッコよかったんだ。ワイルドに洗練された感じだったのになあ。おっかしいなあ。どこでどうなって「自分のヌードで女を感じさせたい…」になるんだ?それは自分で言ってはいけないセリフだよね。多方面において勉強が必要な人だ。